【パン屋再襲撃】ジグソーパズル、ピースの形は合ってるのに絵が違う。それが真の”飢え”。

どーも、ムラキです。

村上春樹の短編小説にパン屋再襲撃という作品がある。

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タイトルからして、ツッコミどころ満載。実際内容もツッコミきれないほどぶっ飛んでる。

でも、多くの人が「あーなんか分かるかも」と心をえぐられる、そんな作品です。

今日はこのぶっ飛び小説について語らせてもらってよかですか??

 

目次

 

 

パン屋再襲撃」のあらすじ。

主人公の「僕」は、結婚したばかりの妻と夜中に同時に目を覚ました。2人とも強烈で耐え難い空腹感を覚えた。冷蔵庫にはビール以外にまともな食べ物が無く、かといって深夜営業のレストランへ行こうと妻に持ち掛けても拒否される。

「それは何かが違う」

この空腹感は、そういう次元では満たされない「特殊な飢餓感」だと僕も感じ同意した。2人がビールを飲みながら空腹感を紛らわせてると、ふと僕は思った。この特殊な飢餓感をかつて経験した事がある、と。そして、その事を妻に話す。

「昔、パン屋を襲った事がある。」

 

僕は学生時代、相棒とパン屋を襲った。金銭目的ではない。

ただ「腹が減っていたから」だ。かといって働きたくもない。

だから2人は町のごく平凡パン屋を襲撃した。

結果だけで言えばパンは手に入った、しかも大量に。だが”ただ”ではなかった。

パン屋の主人はクラシックマニアで、襲撃時にワグナーのレコードを聴いていた。

「今レコードを聴いてる。最後まで一緒に聴いてくれたらパンは好きなだけ持っていって構わない」

意表を突かれた僕たちは話し合い、それでパンが手に入るなら、と結局椅子に座って最後までレコードを聴き、パンを手に入れた。

だが、その時の出来事がまるで呪いのような形で生活に影を落とすようになる。



話を最後まで聞いた妻が言った。

「もう一度パン屋を襲うのよ」。

自分達が今感じている飢餓感はその時の呪いが関係している。だからこの呪いを解くにはもう一度パン屋を襲うしか方法は無い。

そうして、散弾銃とスキーマスクを車に乗せて深夜の東京の街へ繰り出した。

 

飢えし狼、腐り肥えた豚と化す。

あらすじだけで訳わかめ感がえげつないが、実はこの後も結局深夜に開いてるパン屋が見つからずにマクドナルドを襲うというずっこけ展開が繰り広がるw

この作品については、昔から色んな難しい考察もある。

資本主義と共産主義がどーとか、労働と対価がどーとか。

「パン屋再襲撃」再読解 - aesthetica sive critica〜吉田寛 WEBLOG

 ↑眠れない時はこの記事を読めばイチコロですw


要は、胃袋は満たされても、「真の飢え」は満たされなかった、というお話。

ジグソーパズル、ピースの形は合ってるのに絵が違う。

人生にはそういう事が良くある。

場合によってはぎこちなさもあるが、ピースの形はほぼ合ってるし何とか埋まる。でも自分が元来持ってる周囲のピースたちとは絵が明らかに違う、と。

釣りをしていてもそれを感じる事がままある。魚は釣れた、サイズも良いし、沢山上がった。でも、「これじゃない」と思ってしまうのだ。


形だけは満たされてるのに、自分が本当に感じたい感情が収まっていない、絵が出来上がっていない。

これじゃない感で何となく満たし、消化不良をおこしながら腐り肥えて、気が付くころには動くのもままならない思考停止したブタになっている。そういう経験は釣り人に限らず、多くの人が感じた事があると思う。


関係ないが、豚というのは実は体脂肪率は高くない。大人の豚で大体約15%前後と言われている。これは人間の成人女性よりもはるかに低く、成人男性とようやくどっこい、下手するとそれ以下。肥えてるどころか筋肉質でさえあるらしい。無駄を食い尽くして肥えてる人間より遥かに健康的だね・・・

世の中は沢山の”これじゃない感”に溢れているけど、それに流されずに真に求めていた「コレや!!」というモノを手にするのが難しい事は、釣りをやっていると特に痛感する。

 

別の何かで埋めない覚悟。 

「田辺さんが、今日は負けた、と思う時はどういう時か?」

昔、バスプロの田辺哲男氏が釣り雑誌の質問コーナーで受けた質問だ。

これに対して田辺氏がこう回答した。

「自分の得意な釣りでも釣り切れず、自分の苦手な釣りでも釣り切れず、しかもまだ回り切っていないエリアが残っていた時だね。」

もし自分が見きれていないエリアで、他の釣り人が良い魚を釣ってた、しかもそれが自分の得意の釣り方だったとしたら、それは一番最低な負け方だと。多分多くの人が共感できる話だと思う。

自分の強みも発揮できず、諦めて弱みと向き合ってもダメ、でもまだ試していない事が残っていたのに終了。もしこれが人生だとしたら・・・ぞっとしてしまうのはオレだけか??

バス釣りをやる人間なら誰でも分かると思うけど、ぶっちゃけバス釣りって(場所と状況によるが)サイズさえ問わなければ取り敢えず魚に触れやすい釣りだと思う。オレも今では流石に無くなったけど、昔は少し釣りしてて釣れなければ速攻でライトリグで子バスと遊んでた。意図のある選択ではなくて、満たされないモヤモヤを別の何かで埋めようとするような浅はかな選択で。

勿論釣りなんて遊びなのだからそれが必ずしも悪いとは言わない。むしろ友達とそれでワイワイ言いながら楽しむのも素晴らしい時間だ。でも、自分が何でガッツポーズを決めたいのか?これを忘れてしまうと、釣りというのは死ぬほど退屈で、下手すると「作業」になってしまう。そりゃまずいよね、と。

自分が釣りたい魚、釣る過程、釣った瞬間にそばにいて欲しい人。トーナメントだろうと遊びだろうと、自分が満たされる瞬間を一度思い描いてみよう。

ホントに自分が満たされる瞬間であれば、例え親指大のアジでもガッツポーズを取れる、それが釣り人の理想の姿だと思うよ。

別の何かで埋めない覚悟が、釣りを面白くするカギだとオレは思います。

 

新装版 パン屋再襲撃 (文春文庫)

新装版 パン屋再襲撃 (文春文庫)

 

 何かピンとくるものがあれば、ぜひ読んでみて欲しい。



以上、ムラキでした。


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