どーも、ムラキです。
実はラグビーが好きです。学生時代にもやっていました。
釣りとどっちが好きかって?四分六で釣り。
ラグビー、ギリ負けてるけどまぁまぁ好きだぜ、ラグビー。
リアルにもう1000回は見たwww
プレイヤーとしてはあれだったが、純粋にスポーツとしては一番興奮できる。
だが、ほんの数年前までは大嫌いだったし、ある種のトラウマだったんですよ。
自分の人生を自分で狂わせたきっかけがラグビーだったから。
ラグビーは中学からはじめて、高校卒業するまで約6年位やった。ホントは中学で辞めるつもりだったけど、中3の夏頃になって担任から話があるから来いって職員室に呼ばれて、
「お前、高校でラグビーやるのか?」
「いや、考えてないですけど。何でです??」
「〇〇高校からラグビー推薦の話が来てるんだよ」
「ファッッ!!??」
いや、耳疑ったって。だってオレ、ラグビー向いてなかったもん。普通に下手だったし、当時は足の速さとか体力には自信があったけど、とにかく性格的にラグビーに向いてなかった。痛いの嫌いだしw
だから中学で辞めて、高校では別の事やるつもりだった。のに、まさかのオファー。しかもオレの第一志望校ときてる。「何でオレ??」って話だったんだけど、その高校自体はあまり強いトコじゃなくて、チーム強化の為にオレの世代からラグビー経験者を推薦入学で集めていくんだ、って事だった。断ろうかどうかスゲー悩んだ。
明らかに向いていないのは自分が良く知っている。でも、第一志望の高校に進めるチャンスだし、何より”他者から必要とされた”事が嬉しかった。自分にはもしかしたら気が付いていなかった才能があるんじゃね?って勝手に期待してしまった。
自分の直感では、「向いてないし別の事やろーぜ」って警告音を発してる。でも、他者の期待に答えたい自分がそれを打ち消した。
結局、そこへ進学した。
空虚で惨め、腐った3年の月日の始まりである。
「あと半年で終わる」
高校3年のGW、県大会に向けた合宿で訪れた宿舎の夜の布団の中、「解放」されるまでの時間を数えていた。受刑者の気分だった。でもそれは今に始まった事ではなかった。その一月前は「あと7ヶ月」、半年前は「あと1年」と、毎日のようにラグビーから解放される日を待っている。
案の定、オレにはラグビーが向いてなかった。
部の目標は全国大会、いわゆる花園。練習もキツく、その甲斐あってオレが2年になる頃には、それまでせいぜい2回戦止まりだったのがベスト8まで進むようになり、3年になる頃には県大会でベスト4まで進める位に成長した。が、正直言って3年間で楽しい思い出は殆どない。
最初の2年位までは、チームが目に見えて成長してるのが実感できたし、それなりにやりがいも見出せた事もあったけれど、向いてないモノは向いていない。部の指導法とかに疑問もあったけど、それ以前に向いてないのだから毎日部活が嫌で嫌で仕方なく、それに部内に合わない奴も何人もいた。オレのモチベーションは日を追うごとにすり減っていく。
人間というのは不思議なもので、上手く行ってない時は何をやっても上手くいかない。部活以外でもクラスメートとも上手くいかなかったし、友達もあまりいなかったし、彼女もいなかった。いつどこにいても学校にいる時間は苦痛でしかなかった。
俺以外の部員も練習にすり減っていて、きつそうだったのはオレだけじゃなかったけど、次第に他の部員とも溝が出来ていき、気が付くころには部内で孤立している事も多くなっていた。
こんなに苦しい思いをしてるんだから、最後までやれば必ず何か報われる!!
今なら、アホか!と思うけど、当時のオレは無駄に我慢強かったから、そう信じ込んでいた。
そして、遂に解放の日がやって来た時、オレは空虚さの地獄の中にいた。
県代表を決める県大会で準決勝まで進んだ。結果はぼろ負け。強豪校にあっけなく敗れ、ベスト4という結果で終わった。一応部の歴史で言えば数十年ぶりの事らしいが、オレとしてはどうでもよかった。とにかく解放されたことがうれしくて、負けた悔しさなんかも皆無に等しかった。
でも、その嬉しさは一瞬にして冷めていく。
試合が終わり、帰り支度をしている時だ。
他の3年も、敗戦の悔しは次第に収まり、ようやくきつかった日々が終わった事にテンションが上がっていて、みんな晴れ晴れとしてワイワイやっている。1,2年も後片付けで奔走していたり、談笑しながら忙しそうにしている。中には応援に来た付き合ってる子と楽しそうに話してる奴らも何人かいる。
オレは1人だった。
「お疲れ、色々あったな」とそばにいてくれる人はいなかった。確かにオレも超絶やる気があったわけじゃない。でも毎日部活だってさぼったことないし、他の連中が「たりぃ」「帰りてぇ」と愚痴っていた時でもオレは誰かの前で文句言ったり、不満を言った事も無い。我慢だけはしてきたつもりだった。
でも孤独しかなかった。
途中で泣きそうになって、試合会場のトイレに籠って考え事をしていた。
今までの時間は何だったのか?何のために我慢したのか?
いくら考えても答えは見つからず、15分くらいトイレに籠った後に戻ってくると、部員が誰もいない。部のバスさえ無かった。慌てて部の中で一番仲が良く、バスではいつも隣だったKに電話してみた。
「お前親父さんと帰ったと思ってたから。」
応援で来ていたオレの親父の車で帰ったと思っていたんだと。何かがすーっと消えていくような感覚を覚え、「あぁ、そう」と言ってオレもすぐに電話を切った。
文字通り、他の学校の連中以外は誰もいなくなった会場で、11月の冷え込みに震えながら立ち尽くしていると、トイレの中で自問していた答えらしきものが見つかった。
我慢の先には何もない。誰もいない。
誰も幸せになれない。
高校を卒業して以来、オレにとってラグビーはトラウマだった。無実の罪で投獄されていたような、惨めで屈辱的で、大事な何かを奪われていたような時間を思い出すからだ。テレビ中継は勿論、ネットニュースでも「ラグビー」の文字を目にするのが嫌だった程。
でも実は無実ではなかったと思う。最初の罪は、推薦が来た時に「やめとけ」と警告していた自分の直感を殺した事。「志望校へ確実に入れる」というニンジンと、「他者からの期待」という外圧に負けたのだ。
それに、潔く辞めるという決断も出来なかった罪もある。推薦入学である以上は部を辞める事は下手したら学校も辞める必要があったかもしれないし(実際はわからんが)、当時のオレには辞めるという選択が一番ダメだと思い込んでいた。でも辞めなかった結果がこれだ。
我慢や抑圧は自分に対する重罪。
誰かに何かを与える余裕もないし、誰も幸せになれない。
だからラグビーはオレの中で封印した。
でも、高校を卒業して10年が経ち、冒頭の日本代表の快挙を聞いた時、スゲーテンションが上がった自分がいた。まじか!!と。動画も見まくったし、関連本も読み漁ったし、多くは無いけどラグビーを生で観戦しに行く機会もあった。
ある時ふと気が付いた。
てかラグビー好きじゃね、オレ??
プレイヤーとしてあれだったけど、本質的にラグビーが嫌いなわけではなかった事に気が付いた。
物事は関わり方が大事。こんな当たり前の事に気が付くのに10年も時間が経ってしまった。
好きな事を自分なりの切り口で関われば、毎日は面白くなる。これは最近になってブログを通じても分かった事。
ブログやってて良かったなと思う毎日です。
いきなりですが告知です。
明日からブログのタイトルを変更します。
唐突バンザイ。
いぇい。
まっ、やる事は変わらんけどねww
別に大きく内容が変わることは無いですが、もっと発信の幅は広がると思う。
ぶっちゃけ、ラグビーでも、釣具屋店員としてもパッと出来ず、好きな事なのに自分なりのやり方、自分の納得する形で力を発揮できなかったモヤモヤをここでリベンジしたい。
遠慮せずぶっこむ。発信する。
澱ませる位なら、ゲロぶちまけてでも吐き出す。
そういう事をこれからは意識してブログをやっていこうと思う。
っていう、意思表示の為にブログのタイトルを変える事にしました。
以上、無駄に長い長ーい告知でした。
これからもよろしくどーぞ。
ムラキ。