どーも、ムラキです。
元釣具屋店員です。
いらっしゃいませ~
多分初の朝っぱらからの更新。
たまにはイレギュラーアクションを織り交ぜるよw
本題ですが、昔高橋哲也がこんな事を語っていた。
「ばらしてる内は上手くならないよ、だってばらしてんだから」
細仕掛けだなんだ言う前に、まず確実に獲れるタックルを組めっていう話を雑誌の中で説いていた。
基本正論だろう。投げる、掛ける、獲るまで完遂して初めて魚が獲れるんだから、最後までやり切れるタックルを選ぶのが先決だと。でないと、そもそも魚を釣るという一連の行為が上手くならないよ、という話だと思う。
ただ、オレは最近思うんだけど、釣りってやっぱりばらさないと上手くならない気がするんですよ。
良かったら最後までよろしくどーぞ。
目次
自分のタックルの限界を知る事の重要性。
当たり前だが、どんなロッドやリール、ライン、鈎にも限界がある。折れる時は折れるし、巻けない時は巻けないし、切れる時は切れる。
で、自分が使っている道具の限界を最も理解しやすい経験が”バラシ”なんじゃないかと思うのですよ。
話がちょっと違うし、超極論かもしれないけどオレはロッドを折ってしまう経験って絶対に必要だと思う。
以前別の記事でも書いたけど、ロッドは自分の腕の延長。その腕がどこまで耐えられるのか、どんな事をすればあっさり折れるのかを知る事は滅茶苦茶勉強になりますよ。
精神的にはクるけどねw
折れる事に限らず、自分のタックルの限界を目の当たりにすると、必ず学べることがある。
完璧な道具は無いという事を。
ばらさないと、一つのタックルややり方では対応できない事を肌で感じられないよね。
何がリスクなのかはバラさないと実感として身に付かない。
頭では「藻に突っ込まれるとばらしやすい」とか、「根をかわさないと切られる」と分かっていても、その怖さは結局理解できないんじゃないかな?
オレも琵琶湖で釣りをするようになるまで、「藻化け」という言葉は知ってても
、内心「テンションかけながらゴリ巻きすればええやんw」とか平気で思ってたよ。
まぁ甘かったわwww
確実にテンションかけながら巻いてるのに、気が付いたらバスがいない・・・こんな事ってあるの??と絶望した2年前の北湖・・・あと5年は悔やむサイズだったからね・・・
それ以来、キャストしてからもし掛けた場合どこにどういうやばいモノがあるのかさらに気を付けるようになったし、場合によっては立ち位置を変える様に心がけるようになったしね。集中力無くなると適当になるがw
何にせよ、釣りに限らず人は自分の身をもってリスクの怖さを肌で感じないと、それを本当に恐怖と認識できない生物なんじゃないかな。
全てから学べ。
ばらさないに越したことは無いし、魚を最後まで獲る経験こそ何より上手くなるのは間違いないとは思う。でも、自然界の生物だって、狩りに失敗しながら狩りを覚えていくものだと思う。
一番ダメなのは、ばらしから何も学ばない事。
最悪なのは、道具のせいにする事。
恐らくそういう人は同じバラシ方を何度も経験する。
オレはもう北湖の藻化け悪夢はゴメンだよww
以上、ムラキでした。
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