水温計は嘘を言わない。

水温計、水温計ってしつこい元釣具屋店員のブログ。

【釣り禁止】マナーを守るとは”奪わない”事。奪う事しか出来ないのはテロリスト。

どーも、ムラキです。

元釣具屋店員です。

いらっしゃいませ~

 

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 今回はちょっとだけ真面目な話。

 

Twitterや色んな媒体で、釣り場が釣り禁止になって話題になるのを目にします。

 

正直言って、このままじゃ本気でヤバイよね。

 

SNSの発展によって釣り場が荒れたり、実はそこが釣り禁止だった・・・みたいなトラブルへの発展は少なくないし、釣りに対する逆風は強くなる一方です。

 

どうしたら釣りを守れるのか。

 

良かったら最後まで一緒に考えようぜ。

 

 

目次

 

 

大前提:ぶっちゃけ、大半の釣り場は釣り禁止ですよ。

まずはココ。

 

意外と分かっていない人が多いのですが、漁港、堤防、川、野池、湖、ダム・・・全国各地の釣り人の身近な釣り場の多くは、厳密に言えば釣り禁止(もしくは関係者以外立ち入り禁止)の場合が多い。

 

まぁ、オレも法律や漁業権とかに明るい訳ではないけれど、少なくともこの辺りの身近な釣り場には、必ず所有者や管理管轄している組織が存在するので、言ってしまえば、「人様の庭」でオレらは遊んでるわけです。

 

釣り人の為に作られたダムや野池なんて存在しないし、漁港なんて漁師さんの仕事場ですよ。もっと言えば、日本の食卓を支えてる場所でもあるよね。

 

自分の庭じゃないのよ、釣り場は。

 

釣り人”だけ”に解放された水域なんて、ほぼ無いに等しい。

勿論、川や淡水域だと遊漁券を買えば釣りが出来たり、特に立ち入り禁止でなくて、釣り人以外にも水辺で遊びに来てる人達がいる場所もあるのは事実です。

 

少なくともここで分かっておいて欲しい事、それは、

 

「釣り人の為”だけ”に解放されている場所は、日本国内にはほぼ無いに等しい」

 

ということ。

 

釣り公園や管理釣り場位じゃないかな?釣り人の為だけに解放されてる水域って。

 

水辺で仕事をする人、釣りで遊ぶ人、釣り以外の水辺遊びを楽しむ人、色んな人が入り混じってるのが水辺なんだよね。

 

「釣り禁止でなければOK」は甘い。根はもっと深いよ。

こんな偉そうに説いてるオレですが、正直言って昔はね、釣り場=”人様の庭”っていう認識は無かったです。

 

「釣り禁止か否か」

 

その2択だけで、釣り場というのを捉えていた。

釣り禁止の看板立ってないんだからOKじゃね?っていう。

 

でもそれは違う事に気が付いたきっかけがある。

 

管理者「そもそもここは釣り禁止なので・・・」

釣具屋時代、近隣の有名な野池が釣り禁止になった話です。

 

〇〇の野池が釣禁になった、という話を聞いて現地に行ってみると、「釣り禁止」の看板と共に、今まで何も無かった岸際にロープが張りめぐらされていた。

 

オレは仕事としても事情を把握しておきたかったので、管理してるトコロを調べて詳しく話を聞いてみた。

 

想像はしてたけど、回答は簡潔だった。

 

「ゴミが酷過ぎる」

 

いくら拾っても減る気配が無いし、特にラインに絡まった鳥の発見が決定打になったとの事。一通り黙って話を聞いていたが、それに・・・という言葉の後に衝撃的な言葉が待っていた。

 

「そもそもこの野池、昔から釣り禁止なので・・・」

 

・・・は?

嘘でしょ?

 

だってそこ、何十年も前からヘラブナバス釣りをしていた人は多いんですよ。割と歴史ある釣り場だったんだよね。

 

当時のオレは、そこだけは納得いかなくて少し食い下がった。

 

「いやいや、ちょっと待ってくださいよ。今までそんな話聞いた事ないし、看板だって立ってなかったじゃないですか!」

 

今思うと若気の至りだった。

 

電話の向こうで、小さく「うーん・・・」と漏らした後、ため息交じりに言われた。

 

「楽しんでる人達もいたのは分かってたので、我々も皆さんの為に黙認してきたのですが、釣り以外でも散歩したりする人はいますし、付近の遊具で遊ぶ子供たちもいますから、ラインやルアーで怪我をする事も考えられるので・・・」

 

要は善意だったんだよね、

何十年も遊べたのは。

 

流石に何も言えなくて、静かにお礼を言って電話を切った。

 

釣り場というのは”釣りをさせて貰える”場所でしかない。

その時に痛感した。

 

たとえ看板が立っていまいが、釣り場というのは所詮”釣りをさせて貰える”場所でしかない。

 

先述の通り、釣り人が”釣り場”と呼ぶ場所の多くは、厳密に言えば釣り禁止であったり、関係者以外立ち入り禁止だったりするので、正直な事を言ってしまえば我々の遊びは法的に”際どい”ラインにある場合が少なくない。

 

それが現状”ギリギリセーフ”寄りなのは、誰かの善意と我慢があるおかげ。つまり暗黙の了解なんだよね。

 

それに、釣人が”釣り場”と呼ぶ場所は、他の人達からすると、

 

散歩コース

子供を遊ばせる場所

静かに過ごす場所

釣り以外のレジャースポット

 

だったりする。

 

陳腐な言い方をすれば、みんなのモノっていう事だよね。でも、厳密に言えば所有者のモノだし、管理者のモノ。釣人の為だけの場所ではない。

 

厳しい話だけど、現状釣りはほぼ”害”でしかない。 

リアルな話として、現状釣りなんてほぼ”害”でしかないです。

 

ごく一部の管理された水域や場所を除けば、釣りをする過程で金銭的な利益は1円も生まれないに等しい。

 

下手をすればゴミのポイ捨て、身勝手な駐車、騒音、立ち入り禁止エリア進入、器物損壊と、近隣住人や管理者の財産・時間・平穏を”奪う”ケースの方が多い。

 

こんなケースもあるからね↓

 

 

簡単に言えば、釣人がいる事で利益やメリットを享受できる人より、害とデメリットしか発生していない人の方が現状多いという事です。

 

「釣りの際に近所の飲食店やコンビニ、商業施設で買い物すればお金が回る」

 

っていう、少しでも釣りによる経済的効果を発揮させようという意見もある。

 

これは一理はあるよね。確かキムケンもそんなことを提唱してたかな。

 

ただ、これは確かにそうなんだけど、現状それによって生まれる経済効果より、釣りによって奪われる金銭的・精神的・労力的コストの方が上回るケースの方が多いと思う。

 

例えばインターネットだって、厳密に言えば危険性も害性も非常に高い訳だけど、それでも衰退するどころかドンドン発展していくのは、ネットによって生まれる利益とメリットを得られる人の数が莫大だからです。

 

しかし、現状釣りによって利益やメリットを得られるのは、ごく一部の近隣の店舗や住人、そして釣人自身とその関係者だけなんだよね。

 

少しでもお金を回そうとする意識はとても大事ではあるけど、害の部分が大きすぎてプラマイゼロにさえならないのが現実。

 

看板立ってる立ってないとか、釣り禁止とかなんとかで騒ぐ以前に、そもそも我々の遊びは害性が非常に高い事実を忘れてはいけない。

 

厳しい現実だけど、それが釣りですよ。

 

釣人に出来る事。

現状、釣りによって金銭的な利益や、その他メリットを多く発生させるのは極めて難しい・・・というか無理だろうね、ぶっちゃけ。

 

なので、釣りを守っていくには、出来るだけ害性を抑えることが優先順位としては先決だと思う。

 

プラスがあまり増やせないなら、マイナスを減らすしか無いよね。

 

害性を抑え、少しでも利益を生む為に釣人に出来る方法はいくつかある。

 

中でも最も重要なのは、

 

”奪わない”こと

”気持ちの良いバカ”でいること

負の遺産”を静かに少しだけ持ち帰ること

 

この3つだと思う。

 

マナーを守るとは”奪わない”こと。奪う人間はテロリスト。

ゴミを捨てない。

マナーを守る。

立ち入り禁止エリアに入らない。

駐車スペースが無ければ素直に諦める。

 

等々、色んなマナーが釣りには存在するが、

究極的には”奪うな”っていう文言に集約されるのではないかと思うのです。

 

他人の財産や土地を汚さない、壊さない。

他人の平穏な生活を乱さない、気遣う。

自分と他人の命を奪わない、奪わせない。

 

どれも当たり前の事だが、真逆の行動を取ればテロリストの破壊活動となんら変わりない事になる。

 

奪う事しか出来ない釣り人はテロリストでしかない。

 

奪わない意識を持つ事が、釣りの害性を出来るだけ抑える事に最もつながるかと思う。

 

せめて挨拶位スマートに決めて、”気持ちの良いバカ”でいようぜ。

たとえ金銭的利益を生めなくても、近隣住人や漁師さんにとってプラスになる事が出来なくても、せめて釣り人から挨拶して気持ちの良さっていう利益は生み出せると思うんだよね。

 

「どーせ釣れないのに、元気だけは良いねw」

 

っていう、気持ちの良いバカとして見られてる方が、釣りをさせて貰う側としてまだ救われようがあると思うんですよ。

 

「基本漁協関係者以外はダメだけど、あいつらゴミは捨てないし、気のいい奴らだからさ」

 

みたいな。

 

最悪なのは、声を掛けられても挨拶もしない、下手をすると住民や管理者と喧嘩するケース。これはただのバカ。気持ちもモヤっとするし、喧嘩とか論外。

 

経験上こういう人間に限って、平気でゴミを捨てるし”奪う釣人”として害を振りまく。

 

どうせ同じバカなら、気持ちの良さを”与えられる”人間でいたいよね。

 

出来るだけで良い。”負の遺産”を静かに少しだけ拾う。

どうしても釣り場には、テロリストが残していったゴミはある。

 

別にコンビニ袋いっぱいになるまで拾う必要は無いし、目についたゴミを全て拾う必要も無いです。オレだってそこまではやらないので。

 

でも、同じバカが残していった負の遺産は、1つでもいいのでバッグやポケットに入るモノを持ち帰ろう。

 

静かに少しだけで良いので。

 

おわりに:情けないテロリストに成り下がるな!

 印鑑業界への逆風が凄い。これだけテクノロジーが発達した時代において、印鑑はもはや時間やコストを奪う存在になってしまった。工芸的価値を除けばもはや害でしかない。

 

だが、残念ながら釣り業界(特にバス)はこれを笑えない。楽しい遊びだけど、残念ながら社会的な存在価値は”害”の区分に片足を突っ込んでる

 

それが現実です。

 

出来るだけ害性を抑える為には、まずは”奪わない”こと。

 

奪う事しか出来ない、情けないテロリストに成り下がるな。

 

同じバカなら気持ちの良い、少しでも与えられるバカな釣人でいよう。

 

釣りをさせて貰える立場として出来る事は、特段難しい事ではないはずです。

 

あなたは奪う側、少しでも与える側、どっちに行きますか?

 

以上、ムラキでした。

 

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