魚のリリースサイズ問題はあまりにも難しすぎる。残忍性を知り、自分の優しさで決めろ。

どーも、ムラキです。

元釣具屋店員です。

いらっしゃいませー

 

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釣った魚のサイズによって、リリースするべきか否かよく議論される。言い方を変えると、何cmからリリースするべきか否かですね。

 

個人的に、この問題って恐らく釣りという趣味における最も難しい議論の1つだと思っていて。

 

本音を言わせてもらうと、結局のところ、

 

自分で決めて良いんじゃないですかね。

どんなにミニマムサイズだろうと、抱卵の個体だろうと。

 

良かったら最後までよろしくどーぞ。

 

目次

 

地域や水域のルールを守る、が大前提だよ。

先に言っておくと、自治体や水域、魚種によってはサイズによってリリースを推奨していたり、義務付けられてるケースがあります。

 

有名なのは山口県のキジハタ。30cm以下の個体のキープが禁止されている。

www.pref.yamaguchi.lg.jp

 

漁業法の規定に基づいた義務なので、守らなければ最悪50万円以下の罰金若しくは1年以下の懲役が科せられる場合もある。

 

これを最低限踏まえた上での話になるので、誤解の無いように。

基本、釣った魚をキープするか否かは他人が口出ししてはいけない。

釣った魚の命とどう向き合うかは、釣った人間の感性と事情に委ねて良いと思う。というか、自分で釣った以上、自分の意思で決めるべきかと。

 

あえてシビアな言い方をするが、釣りの本質はあくまで”狩猟”であり、狩猟の本質は”殺す”事に行き着く。さらに掘り下げれば、”生きるため”という原理が顔を出す事になる。

 

自分の狩猟で捕らえた獲物を、他人に”殺して良いですか?”なんて聞く方が間違っているし、”殺すな”と決めつけるのも間違っている。

 

柔道や剣道だって、本質的には戦闘技術。戦闘の本質は”殺す”事に行き着くし、”自分が生き残るため”という原理がある。

 

”イッポン”の基準はルールブック的には緻密な規定があるけれど、本質を辿れば「こうなったらもう死んでるよね(もしくは重傷や戦闘不能)」という判断があるのが”殺す”事の原理を物語っている。

 

大げさに思うかもしれないが、釣りだって究極的には”自分が生きるため”にやっているんだとオレは思っています。

 

陳腐な言い方に替えれば、”自分が幸せになる為”、ですかね。

 

食味を楽しむのも幸福だし、引き味を楽しむのも幸福。

 

他人の幸福の基準に基本的には口出ししてはいけないのと同じで、釣った魚をどうするかも他人が口出しするものではないと思いますよ。

 

基本的にね。

口出しはしないが、疑問は感じる事も多い。

とはいえ、です。

 

綺麗な話ばかりでは整理できない現実もあるわけで。

 

サイズに限らず、数においても”卑しさ”を覚えるような人もやっぱりいる。釣具屋でも色んな人の釣果を見て来たけど、”このサイズ、本当にこんなに沢山キープせなあかん?”っていう疑問が拭えない事は多かった。

 

ここまでキープしないとお前は胃も心も満たされないのか?と。

 

一番腹が立ったのは、クロダイの長寸を競うコンテストを店でやっていた時に、クロダイをエントリーの為に持ってきた人が「オレ、クロダイ食わないんだわ。誰か貰ってくんね?」と堂々とほざいた時。

 

そんな”獣”と同じ趣味を持っていると思うと、釣りという趣味の是非を根底から疑いたくなってしまう。

 

でも、残念ながら、それでも他人の幸福感には口出しは基本出来ない。その人が本当に満たされているかは疑問だが、今すぐリリースしてこい!なんて言う訳にはいかないし、言った所で遅すぎる。

 

でも、クロダイは真顔で拒否した。

ぶっちゃけ、本当に資源の保護を徹底するなら、免許制の導入か禁漁期間を徹底するしかない。

リリースした魚の生存率だとか、大きいサイズの方が生命力も強くて繁殖力も高いから本当にリリースすべきは大きいサイズだとか、そういった議論もあったりするけども、こういった観点はぶっちゃけあまり意味がない。

 

何故なら、現状として日本は免許制を導入してるわけでもないし、良くも悪くも釣人の意思に殆ど丸投げされている以上、生物学的・客観的データを持ち出した所で所詮は”個人の自由”という結論にしか行き着けない。勿論、データや意見は参考にはなるけどね。

 

なので、どうしても資源の保護を図るのであれば、免許制を導入して管理システムの構築と規則の明文化を実施するか、魚種と地域に応じた禁漁期間を徹底的に設けるしかないと思う。

 

とはいえ、これまた議論が難しい話だし、実現には時間も掛かってしまう。考えれば考えるほど、話は複雑化していくし、問題も増えていく。

 

だからこそ、釣った魚のリリースorキープ問題は難しい。

 

法的な制約も少なく、釣りを通じて得られる幸福感は個人によってさまざまである以上、やはり魚をどうするかは釣った人間にしか決められないのだとオレは思う。

 

冒頭で、最も難しい議論の1つ、と言ったのはこういった所以です。

まずは残忍さを知ること。

個人の自由なので、結局のところは自分の心に従って決める問題でしかないのですが、それでもオレなりの持論を言わせてもらうと、釣りをやる以上、人間は絶対に釣りの”残忍性”から目を背けてはいけないと思う。

 

正直なコトを言ってしまえば、リリース後の生存率とか、資源の保護とかそんなのクッソどうでもよくて、釣った魚をどうしようと、魚からするとオレらは憎悪の対象でしかない。

 

自分の肉に凶悪さをぶち込まれて必死に抵抗した挙句、無念にも呼吸さえままならない地上で恐怖と怒りに震えるしかない。

 

オレ達の幸福は、魚たちのドス黒い感情をねじ伏せる過程と結果の上で成立する。

 

それが釣りだ。

残忍さを知った上で、優しい選択を自分で決めたい。

生々しい話をしてしまったけど、巷には釣りの楽しさを伝えたいとかお上品な言葉ばかりが溢れかえってるのも事実ですし、そういった視点だけでは片付けられない感情にも目を向ける人が少ないからこそ、魚をどう扱うかという問題はより難しくなっている気がするんですよね。

 

オレだって、流石に生き物をぞんざいかつ適当に扱う事はしないけど、どこまで丁寧に接しているか自分でも自信が無い時はある。

 

釣りは無条件に楽しい遊びだからこそ、残忍さを知った上で優しい選択を自分で考える事が、現状ベターではないですかね。

 

例えば自分の隣で釣りをしている親子が、15cmにも満たないカサゴを釣って、子供がクーラーボックスにキープしようとする。

 

心情としては、”リリースして欲しいな・・・”とオレは思う。ここまで書いた事と矛盾する話かもしれないが、正直な気持ちとしてそう思う。

 

でも、親が、

 

「子供も喜んでるし、美味しく食べさせてあげたいですね」

 

と、言われたら、ハッキリ言ってオレにはその親子を否定する言葉は何一つ出てこない。むしろ、”良いっすね”と笑って答えるかもしれない。

 

子供にとっても、親御さんにしても楽しい思い出になるだろうし、一面的なリリースサイズ論でその親子の優しさと幸福感を踏みにじる事はオレには無理です。

 

でも、もっと言うなら、

 

「海でカサゴのオカンが心配して待ってるかもしれないぞ。でも、このカサゴを家で一緒に食べたいよね。どっちも間違っていないよ。どうする?」

 

どっちが正しいかを諭すのではなく、子供に選択肢を提示できて、”どっちを選ぶのも釣りだし、どっちを選んでも良いよ”、と諭せることが理想だと思う。残忍さを伝えた上で。

 

どっちを選んでもきっと優しさなんだよね。残忍さを受け入れた上で自分にとって優しい幸福を選べる人、選ばせようとする人には、ちゃんと命に対して責任ある行動が取れると思う。

 

それにはもはや第三者に言える事は何もないし、

SNS的にインスタントな”Good”も”Bad”も付けられないです。

 

抽象的な話になってしまった。これ以上はリリースの仕方とかにまで発展しそうだし、流石に長くなるのでこの辺で終わりにします。

 

だけど、法的な制約が少ない以上は、こういった前提から向き合うしかないんじゃないですかね。

 

※因みに言っておくと、釣ったエサ取りを地面に放置する事は”獣の所業”ですし、シンプルに悪臭等の問題に繋がるので問答無用でNG。

おわりに

なんだかまとまりが無い記事になってしまった気もするが、最後に紹介したい動画がある。

 


ディスカバリー3分クッキング | シカの丸焼き (ディスカバリーチャンネル)

 

ガチのハンターが弓で射止めたシカに敬意を持って接し、仲間と調理する動画です。

 

編集でカットされているけど、実は彼らはガチサバイバルをしており、数日程まともな食事を取っていない。つまり腹を空かせている。

 

シカを射止めた後のシーンには続きがあって、ハンターはこんな事を語っている(正確な言葉はうろ覚えです)。

 

美しいシカだ。涙が出るほど心が痛む。

 

でも、早く食べたいというのも本音だ。

 

心の痛みからくるものか、生きる喜びからくるものか、ハンターの目は潤んでいた。

 

何かを考えるきっかけになれば。

 

以上、ムラキでした。