どーも、ムラキです。
元釣具屋店員です。
いらっしゃいませー
少し前に、映画「JOKER」を観に行ってきた。説明するまでも無いヒット作なのですが、バットマンの最大の宿敵であり最恐かつ最狂の悪役”ジョーカー”が誕生するまでの経緯を描いた作品です。
元々「ダークナイト」のジョーカーが好きだったし、非常に面白かったのですが、まぁ・・・率直に言って見ていてしんどい。
のちのジョーカーとなる主人公アーサーが抱えるどうしようもない境遇。誰からも理解されずに社会から孤立していく様。信じていた唯一の愛情でさえ虚構だと知った絶望。どん底の淵から見出した「人生は喜劇である」という信条から自らを”ジョーカー”と名乗り、大勢の目の前でリボルバーを抜く・・・
突拍子もないけど、映画を観終わった後に考えてしまった事がある。
社会に絶望したら釣りに行け。
良かったら最後までよろしくどーぞ。
目次
無敵の人は増えていく。
「JOKER」を見て率直に思ったのは、いわゆる”無敵の人”が生まれる構造や背景そのものだという事。事実、「JOKER」でググると検索ワードに「無敵の人」が出てくるし、そういった観点で語られた批評の記事もチラホラ見かける。
2ちゃん創始者の西村博之氏の発言が発端になっているが、社会やあらゆるコミュニティから孤立し、端へ端へと追いやられた失うモノがない人間によるテロ事件が起こると、必ずと言っていいほどこの”無敵の人”というワードを見聞きするようになった。
インターネット、もっとダイレクトに言えばスマホとSNSの発展により、良くも悪くも他人の生活や思考を恒常的に垣間見えるようになった。勿論それは良い側面もある。だけど、社会から食い潰され、どのコミュニティにも馴染めず拒絶され続けた人間達にとっては恐らく害でしかない。と思う。
否応なしに自分と他人を比較してしまう時間が増え、思考も言葉も他人から汚染される機会が増える一方で、SNSの正しい使い方は誰も教えてくれないし、SNSを浴びる事を誰も止めてくれないのだ。
不謹慎を覚悟で言うと、ネットとSNSの発展により、情報の暴力を浴び過ぎた無敵の人によるアクションは今後確実に増えていくと思う。
テロに走る、という意味に限らず、自ら死を選んだり、自ら破滅の道を選び取ったり、中には開き直って新しいチャレンジを始める人間もいるかもしれないが、要は”失うモノが何もない人間”による何かしらの一撃が増えていくんじゃないか。
まぁ、オレは社会学や犯罪心理学とかに詳しい訳でも、時事問題にとことん精通しているわけでもないので偉そうには語れないのですが、
社会に絶望したり、死を意識してしまったら釣りに行ってみるといいと真剣に思うのです。
良質な孤独に触れる。
作家のロバートトレイヴァーがこんな言葉を遺している。
「釣りは男が寂しさなしに孤独でいる事が出来る地上に残された僅かな場所の1つだ」
至言だと思う。
少々語弊があるかもしれないが、釣りというのは、”アウトドアした引きこもり”の遊びだと思っていて。部屋からアウトしてはいるけど、自然と自分の世界の中にはイン出来るんだよね。
自然は何も言わないし、魚は冷徹なまでに本能に忠実で媚を売ってこない。
人間と違って彼らには嘘も見栄も虚栄も無く、ゆえに難しいのだけど、彼らが静かに発するヒントに目を凝らし、耳を澄まして没頭していれば、彼等は必ず正直に答えてくれるし、フィジカル的に相手をしてくれる。
キャバ嬢、ホスト、会いに行けるアイドル、彼らは孤独や虚無感を払拭してくれるプロではあるが、彼らはどれだけ課金してもSEXしてくれないし、自動販売機よろしくお金が無ければ潤いは与えてくれない。
そういったビジネスも社会には必要だが、所詮は孤独を食い物にしたジャンクな刺激でしかない。
死や絶望を意識してしまった人間に本当に必要なモノは、ジャンクな刺激ではなく、良質な孤独だ。
誰の言葉にも邪魔されず、ただただ淡々と目の前の事象と向き合う。そういう時間が必要なんだと思う。そういう時間でしか癒えない傷があると思う。
孤独でいながら寂しさや虚無感を感じず、虚栄ばかりの人間のノイズを浴びずに済み、自分と静かに向き合いつつも、自分の世界の中に籠れる事を許してくれて、それでもなおその先にはリアルな命と遊べる瞬間が待っている。
都合の良い理想に思えるかもしれないが、釣りにはそういった理想的な孤独の時間があるのだ。
釣りはろくでもない遊び。
とはいえ、です。
ちゃぶ台ひっくり返すような話だけど、釣りなんて基本、ろくでもない遊びでもある。
楽しいよ。素晴らしく楽しい。だけど、釣りも実はパチンコや競馬等と紙一重の刺激物で、気が付くとお金も時間も散在してしまう恐れもある。し、釣人はそれを何故か”崇高な遊び”と言い張って刺激のシャワーから上がる事を拒否してしまいがち。
個人的には、若い人にはあまりのめり込んで欲しくない遊びだったりする。
お金に余裕のあるオジサンがハマったり、たまの休みに家族や友達と堤防釣りでワイワイやったりする分には一向に問題ないけれど、若いうちからドップリのめり込むのは危険だよなって思うのが正直な本音です。
noteにも以前書いたけどね。
良質な孤独が得られるとか言っておきながら、盛大に矛盾しているようだけど、少なくともオレには「釣りって楽しいし、人生が変わるよ!」なんてむず痒い綺麗ごとは書けない。自分も含めて色んな人間を知ってるし、見て来てるので。
それでも、あえて言いたい。
社会に絶望したら、釣りに行ってごらん。
少し疲れるけど体は動かせるし、とりあえず夜はゆっくり眠れるようになるから。
虚無感しか待っていない計算されたジャンクな刺激なんかより、基本冷たいけどちゃんと向き合えば正直に答えてくれる野生の刺激の方が楽しいから。
釣れたら調子に乗れるし、釣れなくて落胆しても悔しくて来週の土日までは生きていたくなるから。
釣りをやれば生きる希望が湧くとは言わない。どうしようもない傷が癒えるとも約束できない。でも、死なない理由探しとしての釣りは割と優秀な手段です。
下手すれば人生狂わす可能性もあるけれど、絶望して悲しい一撃を世に振りかざす位なら、気持ちの良いバカとして狂う方が多分楽しいと思うよ。
そこまでいかなくても、良質な孤独にこもって「もうちょい生きてみよか」と思える理由が一つでも見つかれば、あなたは十分勝者です。
おわりに。
最後に、オレが今までで一番見てきた釣りの動画を紹介したい。
フィッシングショーOSAKA2011 ヒロ内藤セミナー OFTブース
43:34~の話だけで良いので、是非一度見てみてね。
絶望したら釣りに行け、という持論の元になっている話です。
「JOKER」も、社会に絶望する前に観ておくと良いと思います。誰だって陥る可能性がある、人生のifストーリーとして見るべき作品だと思いますよ。
以上、ムラキでした。
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