水温計は嘘を言わない。

水温計、水温計ってしつこい元釣具屋店員のブログ。

【※追記しました】元釣具屋店員だけど、清掃活動の類には絶対に参加しない理由。

どうも、ムラキです。

 

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 ※追記

想像していた以上に多くの方にこの記事が読まれています。

 

Twitter上でも、共感したというご意見、厳しいご意見、両方沢山拝見しております。

 

少しでも何かを変えようと活動されておられる方々の気持ちを奪う側面があった事。

 

この点については深くお詫びいたします。

 

ただ、これから読まれる方も、再度読みに来てくださった方も、これだけはどうか分かってください。

 

オレは、ゴミを拾わない、拾いたくないのではないのです。

 

文中にもある通り、自分で釣りに行けば拾える範囲で拾っていますし、そこには何の抵抗感も、嫌悪感も、義務感もありません。あくまでオレは自分にコントロール出来る範囲内の事だけしかやりたくないのです。

 

この記事は、ゴミを拾う事を否定する記事でもなければ、ゴミを拾わない事を肯定(正当化)する記事でもありません。

 

ましてや、ゴミ拾いで嫌な気持ちになるのは自分だけだとも思っていません。嫌になりながらでも真摯に現実に向き合い続ける方々も沢山いる事実とその気持ちは分かっているつもりです。

 

でも、本当に”つもり”だったかもしれません。少し誤解を招く内容だった事は事実ですし、言葉足らずな部分も多かったと思います。

 

なぜ今更こういう記事を書くのか、というご意見もございますが、答えは1つです。

 

一般的な正しさ、綺麗な言葉だけでは、もうどうしようない所まで来てるからです。保育園落ちたの記事ではありませんが、一定の角度からだけでは届いて欲しい人達には届ききれないのです。トゲを丸めて刺しても刺さって欲しい人達には刺さりきれないのです。

 

だから私は角度を変え、トゲを出来るだけ丸めず、ここから声を刺しました。

 

ですが、トゲの丸め方と、刺し方がよくありませんでした。もう少し慎重に言葉を積み重ねるべきでした。

 

そのせいで、「それでも自分は活動していく」という意思を持って動いておられる方々の気持ちに刺さってしまい、奪ってしまいました。

 

オレの声は正直「毒」の部類に入ります。毒が薬になり得るのかは正直何とも言えませんが、少なくとも毒として成立させてもらえるとすると、それは現実と現場で必死に向き合い続ける方々の「光」があるおかげに他なりません。

 

毒だけでは、それこそ奪うだけの「テロリズム」ですし、匿名で文章だけ投稿するオレの声より、SNS等で呼びかけ、実施し、活動に注力されている方々の声には、重みも、リアリティも、釣り場のゴミの数の変化も敵いません。

 

この記事の内容と、言葉が足らないせいで不快にさせてしまった方々には、重ねて深くお詫び申し上げます。

 

追記部の最後になりますが、この記事を読まれた方が、少しでも釣りという遊びの未来を考えるきっかけになり、

 

「釣りに行った時に、バッグに収まるゴミを拾ってみるか」

 

と思って頂けたら、それはシンプルに嬉しいです!

 

決して難しい話でもありませんしね。

 

でも、オレが一番に祈るのは、この記事が、

 

「考えるきっかけ」

 

になる事です。

 

それをご理解していただいた上で、一部加筆を加えた本文に目を通していただけたら幸いです。

 

※追記 終わり

 

 

 

 ※以下本文

 

今回は割と真面目な話です。

 

オレは元釣具屋店員ですし、紛いなりとも釣り場のゴミ問題や釣り禁止問題にも関心はあります。

 

言うまでもなく、釣り場にゴミなんか捨てないし、個人で釣りに行けばバッグのポケットに入るゴミ程度は持ち帰ってますよ。

 

だけど、各地域で定期的に開催されている釣り場の清掃活動の類には絶対に参加しないと決めている。

 

率直に言って、

心底嫌です。

 

良かったら最後までよろしくどうぞ。

 

目次

 

仕事としてゴミを拾う日々。

オレが勤めていた釣具屋は、早朝4時ごろから開店するお店だった。

 

釣りという特性上、どうしても朝は早い。

 

オレは早朝勤務が多く、朝イチの仕事の1つである駐車場の清掃を毎朝やっていました。地味に時間が掛かる。駐車場が割と広いのもあるし、率直に言ってゴミが多い。全国の釣具屋がそうだとは流石に言えないと思うが。 

 

早朝の清掃から閉店するまでの間、余程店が暇でなければ駐車場を再度清掃する機会はほぼない。

 

それでもたった十数時間だ。たった十数時間の間に、釣具屋の駐車場にはゴミが散乱する。恐らく皆さんが想像している以上に多いと思って貰って良い。

 

これはオレの店が特にそうだった、というだけかもしれないが、日曜・祝日明けは”悲惨”と言って良いし、GWや連休中なんて”地獄”だ。下手をすると、数時間後にまた掃除に行かないといけない事もある。

 

「駐車場、ゴミ拾ったら?」

「灰皿ゴミでいっぱいなんだけど?」

 

さっき拾ったばかりです、なんて理由にならないので、クソ忙しい店内業務の合間を縫ってまた清掃するのだ。

 

仕事とはいえ、毎日毎日、何がら年じゅう、釣人達が捨てていったゴミとどのスタッフよりも向き合ってきた。

 

全く減りもしないのに。

獣達の掃き溜め。

駐車場に投げ捨てられていったゴミは様々だ。

 

オキアミやアミエビの袋、仕掛けやルアーのパッケージ、ライン、ロッドの空箱・・・といった釣具関連のゴミが当然多いのだが、タバコの吸い殻、コンビニ弁当の空箱、ペットボトル、缶ビール等といった飲食物関連も非常に多い。

 

赤ちゃんのおむつ、洗剤や家庭ごみがみっちり詰まったゴミ袋、缶ビールの段ボール(の中にさらに段ボール)、DVDプレーヤー、室外機など、どうしてこんなモノが?と目を疑うゴミも少なくない。

 

心底萎えるのは、生ごみ

 

腐ったタチウオやクロダイがビニール袋に入れて破棄されていた事もある。恐らく釣ったはいいが食べきれなくて放置したのだろう。

 

自販機横の缶・ペットボトル用のゴミ箱から、アミエビのカスが残ったままの袋を発見した時のおぞましさは多分死ぬまで忘れない。吐き気を催す異臭に気付き蓋を開けてみると、Coca-Colaの白いロゴが動いていた。蛆虫だった。

 

どう処理したかはココでは伏せる。

 

釣具屋はよく、魔界と称される。みんなジョークの意味あいでそう呼ぶが、オレは文字通りの意味でそう呼ぶ。

 

釣具屋は”獣”が集まる場所である。

 

誰も助けてくれなかった。

毎日毎日、獣達が投げ捨てたゴミを淡々と拾ってきたが、何がトラウマになってるかって、店長も他のスタッフも誰も助けになってくれなかった事だ。

 

ある時から、駐車場の同じ場所に、同じゴミが必ず捨てられていくようになった事がある。家庭ごみがみっちり詰まったゴミ袋で、毎日中身はほぼ同じ。

 

いくら何でもこれは酷いだろう、と他のゴミの多さも含めて店長に相談するが、真剣に取り合ってくれない。

 

店長「ああいう連中って、何言っても無駄だから。」

オレ「・・・じゃあ、黙ってオレに毎日拾えって事を言いたいんですね?」

店長「いや、そんなことは言ってないだろうが」

オレ「でも毎日拾うのはオレですよね?何も対策しないんですか?明らかに景観も損ねますけど?せめて注意喚起のPOP位張りません?」

店長「そんなことしたってアイツら捨てるやろww」

 

それ以来、オレは店長の事を一切信用しなくなった。

 

他のスタッフも自分が早朝勤務しない事もあって、「そのうち無くなんじゃね?」みたいな軽さ。

 

どうしたらゴミが減るか一緒に考えてくれる人間なんて一人もいなかった。

 

自分で注意喚起のPOPを作ったりもしたが、淡々と我慢して毎日拾った。

 

結局それしか無かった。

 

「もう釣具屋辞めよう」

 

そう思った理由の1つです。

 

嬲りの果て。

釣具屋を辞めて以降、コンビニのゴミ箱、マンションの集合ポスト、色んな場所の駐車場でゴミが散乱しているのを見ると、ジメっとした湿り気のある感情の波を覚える事が増えた。

 

毎日ゴミを拾ってきた事が由来しているのは間違いないが、この感情は一体何なのか自分でも言語化できない日々が長かった。

 

嫌悪感、違う。

嫌な思い出、違う

トラウマ、少し違う。

 

どれもそれらしいが、どれも違う。

 

人間というのは、「感じたくない本当の感情」には防衛本能が反応するらしく、それらしい言葉で濁す悪い癖がある。人間と書いたが、少なくともオレはそうだ。

 

「惨めさ」

「無力感」

「孤独感」

 

感情の正体はこれだ。

 

どんなに拾っても拾っても無くなりもしないゴミに時間と精神を奪われ、何も変わらない現実に日々腐り、誰も真剣に考えてくれなかった悔しさ。

 

どうしようもない現実と向き合わないといけない日々は、ただただ苦しかったし、誰かに分かって欲しかった。

 

ただただ、他者から奪われる日々。

心から惨めだった。

 

それが当時の自分。

 

釣り場の管理者の方々が釣り禁止にしたくなる気持ちだけは、恐らくどんな釣人よりも理解できる自信はあります。

 

彼らはただ怒りや疲弊から釣り禁止にするのではない。

 

「私は、あなた達に散々奪われたんです、もう分かってください、勘弁してください」

 

という悲痛な声を、「釣り禁止」の四文字に込めて看板を打ち立てるのだ。

 

毎日、毎週、自分に何の利益も生まない獣達から時間もコストも精神も奪われ、もうやめてくれ!と注意しても、次の日には別の獣たちが奪っていく。

 

レイプや虐待と何も変わらない。

 

もう止めてくれ!そう泣き叫んでも獣達は耳を貸さず奪って行き、次の日には新たな獣がやってきては汚し、壊し、笑顔で去っていく。

 

釣り禁止は、獣達による嬲りの果てである。

獣達にこれ以上奪われたくないです。

「だったら尚更清掃活動に協力すればいいじゃないか」、って?

 

嫌です。

 

もうこれ以上、獣たちの後処理に時間も精神も奪われたくない。

 

 

「そんな事言っても現実は変わらねぇだろうが」、って?

 

嫌です。

 

そう思うなら明日から毎日近所の釣具屋でゴミを拾ってみればいい。

 

 

「釣り禁がこれ以上増えてもいいのか」、って?

 

ヤバいという自覚はありますが、そうなったらしょうがないんじゃないですか。

 

獣達が選んだ道でしょう。

 

 

「じゃあ何もしないのかよ」って?

 

んなわけねぇだろうが。

 

オレは自分が消耗せずに出来ること、自分がコントロール出来ることだけしかもうやりたくないだけ。

 

冒頭にも書いた通り、釣りに行けばバッグのポケットに収まる範囲のゴミを小さく拾う。それには何の抵抗も無いです。当然自分で捨てる訳が無い。

 

だが、それを活動として大量に、ましてや定期的にとなると嫌です。

 

”少なくともオレは”、ですが消耗します。

 

誤解のないように。

勘違いして欲しくないのですが、オレは清掃活動が無駄だと言ってるわけでも、活動に参加される方々を否定してるわけではないです。

 

むしろ心から感謝していますし、頭が上がる事は一生ないでしょう。

 

オレはあくまで純粋な意味で、嫌だ、と言ってるだけです。そこに、元店員なりの主張だの、崇高な意思だの何もありません。

 

もう奪われたくない。

だから、嫌です、と。

 

「やりたくないのを正当化してるだけでは」というご意見もあるかと思いますが、オレは拾いたくない、拾わないのではないのではありません。

 

ましてや、ゴミ拾いで嫌な思いした(している)のが自分だけだとも思っていません。

 

冒頭にも書いた通り、自分で釣りに行けば小さくゴミは拾います。この辺りは最後まで読んでいただけたら幸いです。

 奪わない。

以前にも書いたのですが、マナーを守るとは”奪わない”という文言に集約されると思うのです。

 

オレがこの記事で言いたい事は、奪うとは何か、奪われるとは何か、という事。

 

それを考えてみて欲しい、という事です。

獣達へ。

多分読んでないだろうけど、最後にこれだけは覚えておけ。

 

お前らはテロリストやレイプ魔と何も変わらねぇよ。

 

奪う事しか能が無い。

 

デカイ魚釣って、ドヤって、「釣り禁止」の看板みてムキーってなってSNSに馬鹿露呈してろや。

 

イムリミットまでせいぜい楽しめ。

 

釣人へ。

 ここまで読んでくれた釣人へ。

 

あまり気持ちの良い内容ではなかったかと思いますが、基本、釣りなんて害でしかないのです。

 

どんなに善意を総動員しても、獣達のテロリズムと数の暴力の前に、現実はあまりにも厳しい部分が強い。

 

でも出来ることはあるし、出来ることをやるしかない。

 

釣りによるプラスを増やすのは絶望的ですが、マイナスを減らす事は出来ると思います。

 

だから、オレは自分にコントロール出来ることしかやりません。

 

オレは幸い、文章を書く事が好きです。

 

自分で小さくゴミを拾う以外でオレに出来ることは、自分の経験から考えた、一般的な正しさだけではない、自分にしか言えない正直な気持ちを残す事。これを読んでくれた方に考えてもらう場を作る事。

 

現状それだけです。

 

考える場所を作るまではオレにコントロール出来ることですが、これをどう感じ、読んだ人がどうなっていくかは全く分かりません。

 

諦めてるわけではなく、自分のコントロールから離れた領域にはコストを掛けたくないのです。

 

ですが、

 

「今度から、ベストやバッグのポケットに収まるゴミを小さく拾っていくかな」

 

と思って頂けたら、それはシンプルに嬉しいです。

 

義務感を感じない範囲で構いませんし、オレも自分が嫌じゃない範囲で拾ってるだけです。

 

くどいようですが、オレはゴミを拾いたくないわけでも、拾わないわけでもないのです。

 

「それでも拾う」のはオレも同じなのです。

 

ここまで読んでくれた方なら恐らくいないと思いますが、

 

「つまり獣が捨てたゴミは拾わなくてOKってことね」

 

と安直に思われる方がおられるとしたら、自分の文章力の無さを嘆くほかありませんが、出来れば再度頭から読み直して頂けたら幸いです。

 

ですが、この記事がきっかけで何かが動いていく事があるとすれば、それは日々現実と向き合い続けて、

 

「釣人だって奪うだけじゃない!」

 

と清掃活動や啓蒙活動に注力されている方々が強い「光」を繋いで下さってるおかげです。

 

「毒」を刺す人間として、そこを軽視するわけにはいかないし、しているつもりも全くありません。

 

この記事が不快に思われる方もおられるかと思いますが、どうかお許しください。

 

少しでも何かを与えられる、考えられる場である事を祈ります。

 

以上、ムラキでした。